2012年6月15日金曜日

FX

読売新聞のPR欄に
という見出しがある。

この新聞はかなりFXに執心で、マネー・経済欄にも「(PR)FX講座」という記事もどきの宣伝を常時掲載している。

FXとは外国為替証拠金取引のこと。他の全ての相場取引と同じく、我の儲けは彼の損。つまり賭け麻雀と同じく、市場全体の富は変化せず、誰かが儲ければ必ずその分誰か別の人(々)が損をすることで成り立つゼロサム・ゲーム。正確に言えばFX取り扱い業者が必ず手数料を取るので市場の富全体は手数料の分だけ減少するネガティブサム・ゲームだ。企業が収益を上げれば株価が上昇して市場全体の富が増加する株式市場とは本質的に違う。だから株は「投資」だがFXを含めて相場は「投機」だ。もちろん株式市場も短期売買で利ざやを稼ぐ「デイトレード」は投機だ。

まぁ、投資でも投機でも一般的には頭のいい、そして運のいいやつが儲けることに変わりはないが、株とか債権ならあまり目の色変えて相場をリアルタイムで追わなくても長期間持っているだけで資産形成になる可能性が高いが、果たしてFXはそうか?

FXが本質的にギャンブルと同じであることを考えると、読売新聞は
資産形成の第一歩を賭け麻雀から始めませんか?
と宣伝しても同じではないかと思う。

2012年6月11日月曜日

新聞の日本語

2012年6月11日付の読売新聞記事

殺処分寸前、セラピー犬見習いへ…「みか」帰省

.殺処分前日に愛媛県動物愛護センター(松山市)から引き取られ、医療分野で活動するセラピードッグの訓練を千葉県で受けている雑種犬「みか」が9日、松山市拓川町の障害者支援施設「日野学園」を訪問した。
<中略>
みかは来年、先輩犬が活動してい る東日本大震災被災地の仮設住宅への訪問も始める予定で、大木代表は「最初は人間への不信感があったが、訓練を通じてもう一度、人間を好きになってくれて いる。亡くなった他の仲間の代表として、立派な犬に育てたい」と話していた。

どんなに偉くても賢くても犬畜生に「亡くなる」は使わない。「発言小町」の投稿にはよく見かける「我が家の犬が亡くなりました」だが、記事中にも使われるとは…。

記事を書いた記者はもちろん、世界最多部数の新聞の校閲はいったいどんな国語力を持っているのか?

追記:7月11日のパンダの仔が死んだニュースは「死んだ」だったが、写真に写っている上野動物園の看板は「亡くなりました」。情けない。

2012年6月6日水曜日

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 つづき

「いち、に、さん、、ご、ろく、しち、はち、きゅー、じゅー」の数え上げは「」と「しち」なのに

「じゅー、きゅー、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち」の数え下げは何故「なな」と「よん」なのか?

下がるほうを「しち」と「し」では言いにくいので何となく発音上の問題だろうと考えるが、なかなかうまい説明が見つからない。読売新聞の「発言小町」に投げてみる。

「個人差だ」とか「地域差だろう」とかで簡単に片付けようとする書き込みもあったが、注目したのは以下のような意見。
  • そう習った
  • 上行は以前からあるが下行は新い
  • 上行とそれ以外の違い
これらの分析は後で。

加えて、「私はこう数える」という書き込みも何件かあった。以下は書き込みにあったパターンの集計。数字のないパターンは該当者なし。
  • 上行:し、しち 下行:なな、よん      5
  • 上行:よん、しち 下行:なな、よん
  • 上行:し、なな 下行:なな、よん   5
  • 上行:よん、なな 下行:なな、よん   4
  • 上行:し、しち 下行:しち、よん
  • 上行:よん、しち 下行:しち、よん
  • 上行:し、なな 下行:しち、よん
  • 上行:よん、なな 下行:しち、よん
  • 上行:し、しち 下行:なな、し            1
  • 上行:よん、しち 下行:なな、し
  • 上行:し、なな 下行:なな、し
  • 上行:よん、なな 下行:なな、し
  • 上行:し、しち 下行:しち、し            2
  • 上行:よん、しち 下行:しち、し
  • 上行:し、なな 下行:しち、し
  • 上行:よん、なな 下行:しち、し
もちろん、これらの数字は科学的に有意な統計ではない。例えば小生と同じ 上行:し、しち 下行:なな、よん はあえて書き込まなかった人もいるかも知れない。だから、これを見て結論を導くのは危険だが、それでもいくつか興味深い点がある。
  • 下行:なな、よん が大多数を占める
  • 上行:よん の人は必ず 下行:よん
  • 上行:なな の人は必ず 下行:なな
身近な人にも数えてもらったが、上行:し、しち・下行:なな、よん と 上行:し、なな・下行:なな、よん が2:1程度のばらつきであった。総じて しち・なな にばらつきが大きいようだ。

小生は関東出身で、同じ地域出身の配偶者も 上行:し、しち・下行:なな、よん の数え方をするのでこれが標準的と思っていたが、結構ばらついているのでちょっと自信をなくした。そこで、YouTubeでJAXAのロケット打ち上げの秒読み影像を探してみると、打ち上げ前のカウントダウンは
  • じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち
で小生と同じだが、打ち上げ後のカウントアップも
  • いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう
で、上行・下行に関わらず よん、なな である。

しかし、これはよく考えてみると「いち」「に」「し」「しち」「はち」の聞き間違えを防ぐための「ワザとらしい」数え方であることに気が付く。昔、警察無線がオープンのアナログだった頃によく傍聴していて「よんがつふたじゅーななにち」の類を聞いて「なるほど」と思ったものだ。多分、自衛隊なんかでもこの数え方をしていると思う。

やはり多くの人が上行と下行が違っていて、しかもそのパターンに顕著な傾向が見られることが分かったが、まだ「何故そうなるのか」の答えは出ていない。発言小町の有力な書き込みをもとに、もう少し突っ込んだ分析をしてみることにする。

2012年6月5日火曜日

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

いつものように娘を学校に送って行く車の中で

「ダディ、1から順に10まで数えて」
「ん?1から順に10まで?」「トルコ語?それともフランス語?ドイツ語?」
「日本語じゃなきゃだめなの」
「はいはい」「い~ち~ぃ、に~ぃ、さ~ん~、し~ぃ、・・・、じゅ~ぅ」
「じゃ今度は10から1まで逆に数えて」
「んん?」「じゅ~ぅ、きゅ~ぅ、は~ち~ぃ、な~な~ぁ、・・・、い~ち~ぃ」
「ほらね、やっぱり」
「ん?何がやっぱりだ?」

娘曰く、
  • 1から10まで上りで数えるときは、4と7をそれぞれ「し」「しち」と読むことをを含めて全て中国渡来の読み方をするが
  • 10から1に下るときは、7と4だけ「なな」「よん」と日本語本来の読み方をする
と。

これは、しばしば日本語について家族に蘊蓄を傾ける父親として不覚の極み。全然気が付かなかったというか、考えもしたことがなかった。アメリカ生まれのアメリカ育ち、まだ小児料金が使える娘にしてやられた。

確かに
  • いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅー、じゅー、と言えなくもないけれど
  • いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅー、じゅー、の方が自然に出る。

いわんや
・じゅー、きゅー、はち、しち、ろく、ご、し、さん、に、いち、は無理で
・じゅー、きゅー、なち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち、をや。

何だか旋律的短音階みたいに上行と下行が違うけど、一体何故なんだろう?

現代日本語の数詞は中国渡来の読み方が原則だが、「し」は「死」に通じ、「しち」は「いち」と聞き間違えるのでそれぞれ「よん」「なな」も多用されるが
  • 時刻は「よんじゅーななふん」なのに
  • 赤穂浪士は「しじゅーしちし」

何故なんだろう?

これが二週間の考察の開始だった。

2012年6月4日月曜日

ベテルギウス

旧聞になるが、ちょうど5ヶ月前、2012年1月5日の産経新聞の記事

巨星ベテルギウス、迫る大爆発 青く輝く天体ショー

冬の夜空で赤く輝くオリオン座の1等星「ベテルギウス」が注目を集めている。<中略>(原田成樹)

ベテルギウスは太陽の20倍の質量を持つ恒星。直径は太陽の1千倍もあり、肉眼でも見えるほど非常に大きく膨らみ、赤く輝いている。

な、何だって?ベテルギウスがいくら膨張していて(太陽系ならば木星の軌道まであともう少し)、分光器などを使って表面の不安定さまで観測できているからといって、所詮600光年以上離れたところにある恒星。見かけの大きさは、例えて言えば東京から大阪に置かれたリンゴを見る程度。肉眼はおろか、どんな高性能の望遠鏡でも絶対に点にしか見えない。

すさまじい与太記事だ。

超新星爆発を起こしてどのくらい遠くまで星の構成物質が飛び散るのか知らないが、仮に半径1光年まで飛び散るとして、現在の半径のおよそ2万倍。物質が光速の1/100の速度で飛び散るとして(そんなに速くはならないだろうな)100年かかる。

この季節になるとベテルギウスを見ることはないが、半年後もまだ赤い星のままでいるだろうか?

2012年6月3日日曜日

エラくない人の日本語

運動会のつづき。

1・2年生の紅白玉入れ、玉の数え上げの場面、今年は時間節約のためか一度に二つづづ玉を投げて数えることにして、教員の一人が拡声器で

「ひと~つ~、ふた~つ~、みっつ~、よっつ~、いつ~つ~、むっつ~、なな~つ~、やっつ~、ここ~のつ~、と~お~、じゅう~い~ち、じゅう~に~、…」

ものすごい違和感。二つづつ数えているのに「ひとつ、ふたつ、みっつ、…」はないだろ?「~つ」は個数を表すから、実際の数の「二、四、六、…」と直接結びつかない。ここは単純に無名数の「ひ、ふ、み、…」あるいは「いち、に、さん、…」で数えるべきであった

2012年6月2日土曜日

エラい人の日本語

娘の日本語補習佼の運動会があった。

年一度の運動会には、地元の日本国総領事を観戦に招待することが慣例となっている。 せっかくの休日(土曜日)にわざわざお越しいただくのも大変だが、補習校の運営資金の一部が日本で納められた税金で賄われている(無償提供教科書、日本から校長・教頭の派遣)ので、礼儀上も道理上も妥当というか不可避的なのでそのことについては文句はない。

さて運動会の開会。

まず教員の一人の開会宣言。

次いで校長先生の「今日のすばらしい天気は皆さんの…」というお話(昨年は雨天中止)。

そして総領事の挨拶。内容は当たり障りのないことだった(と記憶している)のでよく覚えていないが、総領事の挨拶としてはフランクな口調はともかくとして
「今、校長先生が言った…」
と校長先生の発言を引用したのにはびっくりした。

そりゃ総領事はエラいかも知れないが、生徒・父兄への挨拶で「今、校長先生が言った…」はないだろ?どう考えても「おっしゃった」以外にふさわしい言葉遣いはないよな。

何だか情けなくなった。

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「今、校長先生が言った…」と日本国総領事に引用された校長先生の日本語もそう褒められたものではない。

四月の学校便りに
「私は今年は中等部と幼少部の卒業式に出席させていただきましたが…」
ど。

おいおい、「出席させていただきました」って、卒業式って誰の主催だよ?(少なくとも言葉上)お客さん気取りの校長先生、これも情けなかった。

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更に遡って三月の理事会の月刊通信の見出しは
「卒業生の皆様」
「ご卒業おめでとうございます」

小学生相手に使う言葉か?

ここは
「卒業生の皆さん」
「卒業おめでとう」
で十分というより、そうでなければならない。日本語は長幼の区別をしなければ成り立たない。

最近は、やたら丁寧な言葉遣いをすればよい(正い)日本語という勘違いが蔓延しているようだ。

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最初の「今、校長先生が言った…」に関して、例えば生徒・父兄の前でまず一般教員のXX先生がまず注意事項を述べ、それを後に続く校長先生が引用するときはどうしたらよいか自問してみた。
「今、XX先生が言った…」
は不正解。
「今、XX先生からお話があった…」
が’正解だと思う。