「ダディ、1から順に10まで数えて」
「ん?1から順に10まで?」「トルコ語?それともフランス語?ドイツ語?」
「日本語じゃなきゃだめなの」
「はいはい」「い~ち~ぃ、に~ぃ、さ~ん~、し~ぃ、・・・、じゅ~ぅ」
「じゃ今度は10から1まで逆に数えて」
「んん?」「じゅ~ぅ、きゅ~ぅ、は~ち~ぃ、な~な~ぁ、・・・、い~ち~ぃ」
「ほらね、やっぱり」
「ん?何がやっぱりだ?」
娘曰く、
- 1から10まで上りで数えるときは、4と7をそれぞれ「し」「しち」と読むことをを含めて全て中国渡来の読み方をするが
- 10から1に下るときは、7と4だけ「なな」「よん」と日本語本来の読み方をする
これは、しばしば日本語について家族に蘊蓄を傾ける父親として不覚の極み。全然気が付かなかったというか、考えもしたことがなかった。アメリカ生まれのアメリカ育ち、まだ小児料金が使える娘にしてやられた。
確かに
- いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅー、じゅー、と言えなくもないけれど
- いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅー、じゅー、の方が自然に出る。
いわんや
・じゅー、きゅー、はち、しち、ろく、ご、し、さん、に、いち、は無理で
・じゅー、きゅー、なち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち、をや。
何だか旋律的短音階みたいに上行と下行が違うけど、一体何故なんだろう?
現代日本語の数詞は中国渡来の読み方が原則だが、「し」は「死」に通じ、「しち」は「いち」と聞き間違えるのでそれぞれ「よん」「なな」も多用されるが
- 時刻は「よんじゅーななふん」なのに
- 赤穂浪士は「しじゅーしちし」
何故なんだろう?
これが二週間の考察の開始だった。
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